いじめ of カウンセリングルーム 表参道心理相談室/おもてさんどう カウンセリング オフィス / Omotesando Counseling Office(東京/渋谷)

いじめ

日本で(外国でも?)いじめと言えば、
普通、学校などで起きる子供同士のそれを指すようです。

実際、子どもにとっての学校の人間関係は、
大人にとっての職場でのそれに比べられないほど
重要で切実なものです。

そのため、その深刻さ加減から言えば
やはり学校などにおける子どもにとってのいじめ問題は
大人世界のそれとは比べ物にならないので
より注目された結果なのでしょう。

しかし、いじめの本質を考えていくと、
それは子供同士だけではなく、
大人の社会にもごく普通に見られる現象ですし
(大人の場合、モラハラとパワハラとか
DVとか色々に言い換えられますね)
もちろん、子どもと大人の間にも、
普遍的に見られるもののような気がします。
(こうなると虐待という言葉の方がふさわしくなりしますが)

ですから、この問題を本当に考えようとしたら
大人自身が自分たちの間のそのような人間関係に気づくことが
とても大切で、そこから始めないと、子どもたちを守りたいという
強い願いとは裏腹に、どこか理想論だけの、ピントのぼけた対応しか
できなくなってしまうこともあるのではないかと思います。

(今回、何か総論的にいじめ問題をまとめてくれているサイトがないか、
インターネットでざっと調べても手頃なサイトが見当たらなかったのも、
そんな理由からではないでしょうか・・・)

斎藤学氏は「いじめをなくす親子関係」(旬報社1997年)の中で
パワー(自己肯定感)の欠損の埋めあわせ(攻撃と支配、世話焼きとしつけ)、
順位闘争、嫉妬、集団への馴化、集団からの排除などの心理を
いじめが生じる際のその集団の中の心理的要因として挙げています。

順位闘争、嫉妬、集団への馴化、集団からの排除などは、
良かれ悪しかれ生物としての人間の集団にはつきものですし、
特に思春期はそれが嵐のように吹き荒れる時期です。

しかし、そこで、子どもたちのパワーの欠損感が強い場合、
その不安感、緊張感、・・・というよりもほとんど恐怖感のようなものが
高まり(しかも、それらを意識してしまうと自分が生きていかれないほど
自己肯定感が低い場合、意識の中では感じられない)、それを
自分以外の誰かに押し付けることで自分を保とうという努力がなされてしまう。
それがいじめという形をとるのだと思われます。

それはきちんと意識された「敵意」とか「ライバル心」などではないので
正面を切って相手に向き合うという形になることはなく、
「無視」「冗談」「からかい」「いじり」などの形をとって、
対等な抗議や真面目な反発の機会を与えないように行われる。

また、それは、加害者の気持ちにその動機付けがある
(例えば嫉妬や自己肯定感の低さを埋め合わせるためなど)のではなく、
あくまで「本人のため」を思っての世話焼きの一種として、
またはたとえば、「みんなが不快だから、それを正すため」に、
などの理由づけをして行われることが多いのではないでしょうか。

そして、何らかの意味で自分自身がパワーの欠損感を持った子どもは
そのターゲットにもなりやすい。

もうひとつ、重要なことは、
斎藤氏が指摘しているように、いじめが起こる場合に
よくあるケースとして、
「善意の」学級担任がそこで子どもたちのそれらの行動を
暗に支持してしまったり、促してしまったりしていることです。

こちらも「善意」であるだけに気付くのが難しい。

その担任自身がそのようなパワーレスな子どもを
「何とか世話しようと思ったが“持て余して”」しまってうんざりしたり、
「まともにしてやろう」という善意から「指導」を強めて、
結果としては、いじめの先頭に立ってしまっていることが
少なからずあるのですが・・・。

それでは被害者側はどういう状態なのでしょう。
被害者は自分自身がもともとパワーの欠損感が強い場合があります。
また、それが何か自分の絶対に人に知られたくない恥部ででも
あるかのような感覚を持っているので、そこに付け込まれると身動きができなくなる。
だから、いじめを受けても、それが
「ただの冗談で自分もその悪ふざけに参加しているだけ。」
と、考えようとする。

逆にいえば、ですから、いじめの問題は、その程度の外見的な激しさよりも
人間としての誇りの傷つきの問題であり、そのことがいじめが命に関わる問題に
なってしまう理由になるのだと思われます。


また、少し傾向の違った新しいタイプの“いじめ”について、
先日、“友だち地獄――「空気を読む」世代のサバイバル――”
(土井隆義著 ちくま新書)という本を読みました。

あまり詳しいことはスペースの関係で書けませんが、
この本の中で筆者は、
最近の子どもたちは、常にお互いの空気を読みあって、
ノリを合わせるという「優しい関係」の維持に汲々としており、
日頃の人間関係にすら安心感を抱けなくなっているということを
述べています。

しかも、その「優しい関係」は教師との間にも、両親との間にも
求められていて、子どもたちは親にも先生にも優しい心配りをして
葛藤関係にならないように細心の注意を払っている。
このような緊張感、不安感が今の子ども同士のいじめの問題に
繋がっているという論旨です。

これは、斎藤学氏が言う「優しい暴力」(この場合、親から子への)と
通じる状況のようにも思えます。

親や先生の言葉にならない不安が、真綿で首を絞めるようにして
子どもたちを窒息させようとしているのかもしれません。

まず必要なのは、大人たちが自分たちの不安感に
じっくり向き合ってみることのような気がしますが、それが非常に難しい。
言うは易し、行うは難し、というヤツです。

最近、何らかの悩みを抱えて心理相談に訪れたティーンエイジャーの口から、
「こんなことになって親に申し訳ない。お母さんが心配していて可哀想。」
と言う言葉をよく聞きます。

こちらとしては、
「ティーンエイジャーが親に心配を掛けないでどうするの?!」
と言いたいところなのですが・・。

そういう場合、カウンセラーの役割は、
お子さん自身の相談を受けることと同じくらい、
むしろ、お子さんが「安心して迷惑をかけまくる」ことができるような
タフなご両親になってもらうべく、ご両親の不安にお付き合いさせて
頂くことのような気もします。

【参考】こんな記事を見かけました。
http://mainichi.jp/life/edu/news/20100612ddm013100153000c.html